真田隊の日常〜新人編〜


「長、新入りですよ。そんな顔をなさらず。
 幸村様が才蔵殿の霧隠の術で長から脱走したときみたいになってますよ」
「嫌なこと思い出させるなよ。新入り、新入り、ねえ…?」
 組んだ腕の先、真田忍軍の長である猿飛様は指先を思案気に動かす。 飄々としているが目線の奥は鋭い。敵であるか味方であるか。 忠誠を尽くすか反逆するか。即物的に言えば、使えるか使えないか。
いくらか主を転々としている身で忍の組織も様々に見てきたが、 ここまで苛烈な眼をする忍に、会ったことがあるだろうか。 宵闇の湖、水底の如く深い闇を思わせる。それと微かな―ちり、と 焦げ付く感触のある視線だった。仕える主は火を用いるそうだから、 部下も似る、のだろうか。真田忍軍の名は世に広く知れ渡っている。
 同業者は口を揃え、「敵につけば恐ろしく、されど味方になればこれほど心強きものもない」  そして「我(が)が忍とは思えぬところよ、真田とは。」

「情けなくも主家のお家断絶、討死でこの有様です。 甲賀は忍の貸し出しも含めていますから、数度の鞍替えとなりますが」
「それだ。真田は甲賀へ助力を要請していない。 ここの忍軍は…まあ、やたら色んな流派が揃ってるが。上忍の達しは」
「ありません」
「ない?」
「主家がまだ存続していた頃になりますが…潜入した地で、 あるお方とお会いしまして」

 『あるお方』を聞いた途端、長の顔が思いっきり崩れた。
長の横で笑いを隠しきれなさそうにしている忍は、嬉々としながら 成り行きを見守っている。成程、こんな様子は他の忍軍では見られなかった。 散々肝が太いと言われつづけ、滅多な事では動揺しない自分だが これには…正直に言おう。戸惑いすら感じてしまった。
「情報収集にと薬売りをしていた時に」


 社鳥居の朱塗り柱に寄りかかっていた人間は、何気なくといった 様子で自分に声をかけてきた。
「もし、小連翹(しょうれんぎょう)を持ってはおらぬか」
「ありますよ。すぐにお使いで?」
 小連翹というのは生薬で、黄色く小さな花をつける薬草から作った薬である。
 背におぶった薬箱を下ろしながら、やれ見たところ壮健そうにとれるが、 それとも家に病みもちの者がいるのだろうかと考える。 この薬は煎じて飲めば鎮痛に、煎液を浸した布で覆えば、切り傷や打撲に効く。 大抵の薬を求める者は、薬名など気にはしないものだ。しかし身なりは武士の それなのだ。若いので小姓を出てしばらくかの若武者だろう。仲間内から頼まれた かも知れぬ。館持ちのような身分ある者は侍医を呼ぶが、そうではない者は こうして薬売りに頼ることもある。だが、急いだ様子もなし。 表にはまったく出さぬものの、内心で警戒心を抱きながら薬を探っていく。
「いや…そなた、右脛を庇っておろう」
「おやぁ、おわかりで。なに、ちいと引っ掛けましてね」
「国許に帰りたくば使っておくといい。甲賀の薬はよく効く」
「…!」
 息を呑む寸間すら惜しんで、咄嗟に仕込み針を放とうとしたのを、 その男は快活に笑って、「やめておけ」と楽しそうに。それはそれは。
「お館様の道を阻むなら容赦はせぬが、おぬしの主はそうではあるまい」
「……真田の縁者か」
 警戒を解かぬままギリ、と睨みつけるが、ますます嬉しそうにするばかりだ。 子供が玩具を見つけてはしゃいでいるような気配がする。 小姓上がりなどであるものか。そうであってもこれは、言い表せないが―― 性質が悪い。
殺気はない。柱から体を起こして、真正面に立っている武士からは。
「応、いかにも」
「用件は」
「ない」
「…………」
絶句した。

「どうも俺は『判る』ようでな。それだけだ」
 『判る』とは己のような、目に混ざらぬ者のことか。よく――わからない男だ。 正体を知っていて親しく接するなど、身に受けたことがない。
「また訪ねるといい。迎えよう」
ますます混乱したものだった。


「私は情報を持ち帰りはしましたが、武田軍…真田家と主家との間に どういった遣り取りがあったかは存じません。  しかし主の言付けで、真田幸村殿に仕えよ、と。里は半ば抜け忍ですね」
「そーいうこと、さらっと言って欲しくないねえ…」
「戦で死んだと風で流れているようです。必要なら顔を変えますよ」
「…そうしてくれ。旦那は嫌がるだろうが、危険は零に近い方がいいんでね」
「ええ、勿論。忍の身を案じて下さるお方です。我が身に代えても」
「……それ、うちの主様に言ったら、抱きつかれるか殴られるか笑顔全開で嬉しがるかの
どれかだから、注意するように」
 とうとう「ぶはっ」と後ろを向いて笑い出した忍とは裏腹に、猿飛様は こめかみに手をあててうんざりしている。真田とは規格外の御家のようだ。
 腹を抱えて笑う発作が治まらない、部下と思わしき忍にちらりと 視線をよこしてから、
「真田忍隊の長を勤める猿飛佐助だ。各隊の頭には伝達をしておく。  御家のため、主のため身を尽くすように…は、余計なお世話かもね。よろしく」
きりっと人をまとめる顔と口調で告げた。最後は口元をゆるやかにあげて。 そうすると、鮮やかな髪色も手伝って、人好きのする優男に見えた。

 ひいひい言っている忍がもらした、
「無自覚含めこれで何人…何十人目でしょうね、長」
「やーもう人材には事欠かないよ。おかげ様で!」
には、自棄と呆れと…他に何が入り混じっていたのかは、 彼らの日常を知ってからになる。





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