真田隊の日常〜脱走編〜


「そろそろ帰らねばいかぬなぁ…」
 馬を繋いである場所まで歩き、愛馬のたてがみを撫でつつ幸村は呟いた。 口に出してみるものの、自分の足はなかなか動きそうにない。 幸村の顔に鼻面をくっつけてくる動作に、優しく促されていると感じて はいるのだが。
「むしろ佐助が出て行くのが筋ではないですか?」
 さらりと葉が揺れると、忽然と姿を現した者がいた。霧隠才蔵である。
 伊賀忍術を操る忍で、真田忍軍の中でも選抜きとされる十勇士のうちの一人。 佐助とよく痴話喧嘩を繰り広げているので、あいつら仲いいなあはははと いった目で見られている男である。幸村もそうなのだが、『痴話喧嘩』で すませるにはあまりに殺伐、真剣勝負な空気が漂っているのだ。時折巻き込まれた 被害者が、担架に乗せられて運ばれたりする。真田忍隊に来て間もない、 事情を知らない忍や里を出たばかりの忍は、この痴話喧嘩から身を守る ところから始まる。
「あいつは融通が利きませんからね」
 佐助がいたなら「お前にだけは言われたくなかった」と突っ込まれていた所だろう。 十勇士とは、視界に幸村しか映ってない集団とも言える。
 真田忍は元々その傾向が断トツに…それはもう海よりも深く山よりも高いほどに 高いのだが、更に上をいく強者が十勇士である。 行き過ぎてちょっと危なかったりするので、長であり保護者でありおかんである 佐助は、彼等の理性を取り戻すのに余念がない。主に実力行使によって行われる それの相手で、もっとも暴走しやすいのが才蔵だった。

「む、だが我が侭を通したのは変わりない」
「お帰りですかな?」
 今度はざらりと葉が擦れた。幸村の傍近くに歩んでくる巨体の名は 三好晴海入道、同じく十勇士の一人に数えられる。 才蔵が忍装束なのに対し、こちらといえば黒の僧服を身につけている。 僧兵でもある晴海は情報収集の任につくことが多く、見聞が広かった。
「晴海」
「お気にめさる事もありますまい、若。ほれ、佐助ばかり 若のお好きなものを知っていては、我らの立つ瀬がありませんからなあ!」
 身の丈どおりの、空気が振動しそうな大声で呵々と大笑する晴海に、 才蔵はまったくだと言わんばかりに静かに頷く。従者の様子を交互に 見た幸村は、うむ、と自身も頷いた。
「あのような場所で団子が食せるとは知らなんだ。 晴海、それに才蔵、礼を言う。まこと美味であった!」
「表には出しませんからなあ。拙僧も偶然知った店でしてな、 粉が余った時にだけ作る団子なので滅多に食えんのです。 運が良うございました」
「無論、無駄足をさせるつもりは御座いませんでしたが」

 懐に手を入れると笹の葉が指に当たる。ほどほどの厚さがあり、中身は 包んでもらった甘味だった。
「佐助もこの団子で機嫌を直してくれればよいが…」
 佐助には内緒ですよと、こっそりと抜け出してきたので怒っているだろう。 佐助は幸村の好みに合った八つを買い求めるのに秀でていたが、 自分の知らない甘味を幸村が食して、それがまた好んだりすると あまりいい顔をしない時がある。長年一緒にいた幸村にしか気付かない 程度の変化だが、幸村は美味いものは美味いと、笑いあいたいと思うのだ。
「直らんと罰が当たりますぞ。佐助とて頭を冷やしておる頃でしょう」
「あいつに食わせるのは勿体無いほどです。――ところで、先ほどの」
 才蔵が怜悧な気を漂わせ、目が細められる。こうした切り替えを 幸村は清々しく、快く思っていた。戦いの空気を彷彿とさせるもので あったし、芯が伸びる心地がする。合わせたかのように風もぴたりと 止み、耳に痛い程の静けさが辺りを包んだ。
「我等に気付くとは相当な手練でしょう。見張りをつけていましたが 万が一敵にまわると厄介です。命とあらば、すぐにでも」
「いや、かまわぬ。あの者の主、あの者も戦での勇姿は見事なものであった。 俺はお館様との盟友の架け橋になれたらと思っている。勝手な友誼だな」
 そう言い苦笑を滲ませる幸村に、二人は眩しさと頼もしさ、 そして胸をつく寂しさを宿らせたが言葉にはしなかった。 その笑い方は幸村の兄、信幸と似通っており、何より亡き昌幸を 彷彿とさせていたからだ。

「いいえ、誇りに思いますぞ。人は城、人は石垣、人は堀。 世の廻りは人の思いひとつです」
「……佐助の説教の前に、お館様に鍛えてもらわねばな」
夕焼けに染まる山々を眺め、帰路につくための一歩を踏み出すためにも。
さくりと踏んだ草土の音に、愛馬が優しく鳴いた。





佐助はこだわり派甘党な主のために、全国を忍び参るのに余念がない。
幸村は美味しい菓子も好きだけど、隣に佐助がいたらもっと美味しいと思ってる。