二度あることは三度ある


【幻肢痛】(げんしつう Phantom Pain)
事故などで四肢の一部を失ったのち、
存在しないはずの手や足に痛みを感じる症状のこと。


 痛み止めの薬や麻酔は効果がない―――の部分まで目線を動かしたところで バタン!と力任せに本を閉じる。医療関係の本ばかりが並ぶスペースは 店の奥に位置しており、音がよく響いた。やたらと装丁がご立派で分厚いおかげ でもある。
 強引に本を元の場所に戻し、背表紙をつうと滑らして、 馬鹿か、と低くこぼした。戻したはずの本は、手の中に舞い戻っている。
このまま左折して直進すれば会計コーナーのある一角。のはずだ。





「へえー。幻肢痛、ねえ」
 伊達がいなくて良かった!ほんっとうに良かった!とうんうん頷いている 男を、元就は花もバナナも瞬時に凍る冷たさで睨みつけた。 バナナは釘も打てる強度だろう。そんな即席冷凍室もどこ吹く風で元親は バイク雑誌を広げ、くつろぎまくっている。
「ン?おかしいな。あいつどう見てもそんなふうには…」
「用が済んだらとっとと帰れ」

パチン

 茎を切り落とした音が断続的に続く。パチン、パチン。
 元就が手に持っているのは赤い花だ。血のような色と評されるかもしれない。 鹿おどしが岩を打つ音と、小気味よいパチンという音と。 本来なら二種類しかない和室に、何の遠慮も景観の不和も考えずのしのしと 庭から(庭から!計算しつくされた、四季を通じて美しい庭からだ!) 「よっ!」と言いつつ上がりこんできた男、元親は言った。

「幻肢痛って知ってるか?」

 貴様、何年経てばその皺なし極小脳に庭から入るなの文字が入るのだ!
 もはや条件反射でぶつぶつ言っていた元就は、元親らしくないワードが提示 された事に、またもや条件反射で答えてしまっていた。 その頃には元親は畳の上に寝転がり、持参した雑誌をぱらりとめくっている。 元親が元就の下に訪れるときはいつもこんなパターンである。
「いやな、幻肢痛で寝れねえやつがいるんだよ」
「医者に行け」
「なんか違うような気がするんだよな。ひゆ、ってやつ?」
「比喩」
「そうそう比喩。…あいつ、あのままじゃやばそうだな」
 口元を覆って、心配そうな顔つきをしている元親のお節介ぶりは筋金入りだ。 元親をアニキー!と呼ぶ者たちに、おうよ!と嬉しそうに返している姿を元就は 何度か見かけたことがある。奴のあれは矯正不可能だと元就もとうの昔に 見逃すことにしている。

「お前も知ってるだろ。高校ン時一緒だった、猿飛」
「オレンジ頭で終始にやけた顔の猿飛佐助か」
「ひでえな。その猿飛がありえねえことに参ってて、手負いの獣っつーか」
「我の知ったことではない。
 そこまで言うなら貴様の得意な乱暴芸で片付ければよかろう」
 目をぱちくりさせてこちらを振り向き、そっかーそうだな!な空気を 出している元親を無視し、元就は生花を活けた。緑色でまとめた中に ひとつだけの赤い花は、大層映える。





「あ」

 人と人の間に、ちらっと見知りの姿が見え、おーいおーいと手を振ってみた。 が、まったく反応がない。おっかしーな、俺視力はいいんだけどーと 首を捻りつつ、名前呼びもしてみたのだが結果は変わらなかった。
 そうしている間に駅の改札口へ向かう人ごみの中に紛れてしまい、 慶次は首を傾げる角度を大きくした。慶次は長身なので、まるで人が ゴミのようだ!な人の固まりの中でも頭ひとつ突き抜ける。 それに顔見知りはとてもよく目立つ風貌をしている。慶次でなくとも 間違えることはそうないだろう。電車の到着直後ならともかく、 少し経った時なのでざわざわとした音も、軽減されているはずなのだが。

「もしかして忘れられてる?」

 はたと思い当たって、ああそうだそうだ、きっとこれが正解!
 ポン!と手を打ってから慶次はしょぼくれた。ふらりと誰にも告げず、 一ヶ月ほど人生と恋の旅に出ていたのだが、帰国早々これでは寂しい。

「でも、随分分厚そうな本持ってたなあ」
 小脇に抱えていた有名大型書店の紙袋は、慶次もよくお世話になっている代物だ。 漫画や雑誌なんかで。無愛想が二乗されたような顔をしていたので気になった。
「っていうか、政宗だったよなあ…?」
 今更ながらに自信が持てなくなってきた。気を取り直して自分も 改札口へ向かうと、何やらおろおろしているものが見えて、慶次は本日二度目の 「あ」を言う事となった。
 お人好しに分類される慶次はそのキャラクターで お年寄り・子供に絶大なる人気を誇る。要は重そうな荷物を背負ったお婆さんを見たら手伝い、 子供が風船を飛ばしたらよーしおにーさんが取ってやるからな!と笑顔を 向ける人間なのだ。
 駅構内の壁に片手をつく姿は、日○猿軍団の反省のポーズに 似ていないこともない。
ただ苦しげにきょろきょろと落ち着かない 様子だったので、場合によっては人を呼んだ方がいいかもしれないと慶次は思った。

「うう…ひ、人に酔ったでござる…」
「どうしたの?」

 声をかけた瞬間に答えが返ってくるとは。相手は呟いただけなのだろうが、 にしても今、ござるとか聞こえた気がする。茶色の頭から一筋だけ流れた 髪が揺れ、慶次はそれにも変わった子だなあと感想をもった。 顔を動かすのも辛いのか、ゆっくりとこちらに視線を合わせたのを 見て、大丈夫?と言ってみる。
「拙者、貴殿こそ、大丈夫かと思いまする…」
「へ?…あ、大丈夫大丈夫。今回は色んなとこ行ったから、服破けちゃって」
「色んなとこ…」
「うん、密林の奥地とか。それより歩けそう?あと少し行ったらベンチあるから」
「か、かたじけない」
 少年のスポーツバッグの紐を肩にかけて、気にしない!と笑った慶次に、 相手も笑い返した。元気なときなら、一層いい笑顔になるんだろう。
 慶次は自分の全身を見下ろして、まつ姉ちゃんに裁縫習おうかなあと自分と少年の二つ分、でかいバッグを 持ちながら考える。現地の子供が蛇に噛まれて、応急処置に袖の布を 破いて使ったのだ。他のTシャツも木々に引っかかって穴があいてしまった。 旅慣れた人間は荷物を必要最小限にするが、当てのない旅だったこともあり、 それが仇になった形だ。
(人の視線は感じてたけど、あ)

(もしかして)

ありえない話ではない。