こばなし弐

お館様の御落胤な佐助の話(佐助と幸村)
うなだれる日の彼らの世界(夏の佐助と幸村)07,9/1



































.
お館様の御落胤な佐助の話


 胃だけではない、あらゆる臓腑から湧き出でた酸い急流をやり過ごす のは刻にしてみれば寸間の事であったが、後味の悪さといえば 長く尾を引くものであった。

「大陸には奸雄がいたらしいけど、はてさて、奸才姦策ってやつは尽きないもんだ」

 ズッと苦無を引き抜く動作にあわせ、物言わぬ屍体が持ち上がり、持ち下がりを 繰り返す。肥えて予想以上に脂肪が厚かったせいか、助骨を通りぬけ心臓を突くのにも苦労し、 『苦無い』の名の示すようにはいかないものだったが、その肉付きのよい顔は身に起きた 凶刃も知らぬままで固まっていた。抜き出した刃の肉の脂と血のついている部分の割合を見、 巨漢に似合わずノミの心臓で、とぼやく頃には影はもうない。

 佐助は能力ひとつとって見ても『間然する所無し』と評される。
忍術使いという特殊性故に真に間然―――卑しい路傍の草として 批判・非難がないとは言えなかったが、甲斐の虎と称される武田信玄、 また紅蓮の若侍真田幸村においてそのような謗りを受ける事はなく、 全幅の信頼を身に受けているのは目にも明らかであった。
戦局・勢力図の目まぐるしく変わる世において、情報を得るは即ち 勝利を得ると言っても過言ではない。早馬ですら何日もかかる行程を それすらも速く、忠実に届ける彼等を重宝するのは道理とも言える。

「大将も忍使いの荒いこって」

 そうして、佐助が一夜で千里を駆け抜ける風でもって信玄の座す躑躅ヶ館に、 幸村の受け持つ上田城に帰還する頃には夜は白けていた。


「猿飛佐助、卯の中刻にて只今帰来に候」
「佐助か。うむ、よく戻った」
 両手に槍を振り回し、軌跡を描いて鍛錬する幸村は朝陽を浴びて 鮮烈な印象を受ける。どんよりと厚い雲が月の光すらも隠してしまうのも 忘れてしまう苛烈な、されど清々しい紅い風であった。 仮令佐助にのみ吹いた捕えきれぬ風であっても、迷彩の忍はそれが身に当たる 喜びを知っている。
 頬に流れる汗も拭わぬまま、幸村は手に持つ二槍のうち一槍を 佐助に向かって投げた。佐助の手がパン、としっかりと受け取る音を響かせるも、 朝から限界を知ることなく体躯を動かした証左に、幸村の面は紅潮している。
「……旦那、俺さぁ、夜通しのお仕事でくったくたなんだよね」
「だから俺も片槍で戦ると言っているぞ?」
「わかってますって、言ってみただけ」
 言っても聞きはしないのは承知であるが、肩を竦めるのは許してもらいたい。
だがそんな気持ちも幸村が槍を構える頃には失せ、転瞬、あるのは ピタリと幸村に矛先を向けた佐助の静かな眼差しである。
 一陣の風がさわ、と互いの髪を揺らし、二人は地を蹴った。


 幾度目かの打ち合いのうち、刃を合わせたまま、眼に炎を宿らせた幸村が 怒りも笑いも戸惑いも哀しみも見せぬ顔付で佐助をじっと見詰め、

「此度の生還、この幸村、心の内より喜悦を隠せませぬ」

落ち着き払った声色で言う。けして普段の大きなそれではない。

「俺はあんたの忍だよ、旦那。猿飛佐助は真田幸村の草、 虎の仔じゃあない」
「死生命あり、人の身はいつかは朽つるもの、心得ておりまする」

 ぎりぎりと槍を握りしめる力は緩めていないのに、口調はひやりともぬるくもない、 何とも摩訶不思議な空間でさえあった。だが佐助と幸村にとって、 このあまりに真摯な場は何よりも他者の存在を必要としない、否寄せ付けぬ。

「なれど、」

 更に大力をもって圧倒する幸村に、佐助は守に構える間もなく槍を手放す。 両手をあげて苦笑する佐助、その鼻先に槍の先を向けにい、と笑った幸村は 軽く息を弾ませながら得意気に言ってみせた。

「俺は、佐助が、佐助のまま帰ってきたのが嬉しい」

「旦那が変わらない限り、俺様も変わんないよ。多分ね」

 手落とした槍を拾い、幸村に手渡しつつ佐助は言う。
 幾つかあったやも知れぬ路のなか、最も過酷で凄惨な路であろうとも、 この男と共にある限り頭上は煌々と炎焔に照らされるのだろう。
 不規則で不安定な陽光にこそ影はあると、今はこの幻想を噛みしめていたかった。


市…どうしたら…なネタで本当にすみません。
血縁だからではなく【佐助】を認める旦那とあくまで忍の道をゆく佐助が本題(と言い切れないのが悲しい)
佐助が槍使えるのは忍者の必修科目に槍術があるらしいよ!→たぎった
主従だけど実は微・逆主従(微?)→ええじゃないか


back
















.
うなだれる日の彼らの世界


 感覚が麻痺したらしい、穢されない白濁に立っているのはふよふよとした心地だった。 血が熔岩となり沸騰しているのか凍りつき凍土と化しているのかもわからない。 吐き気を伴うような悪質な陶酔、悦楽。人を人ならずにしてしまう麻薬よりも なんと性質の悪いことか!幸村は墨を擦るのを止め、活気づきすぎる太陽を睨んだ。
硯に溜まっている墨汁は使用する分には濃すぎており、手に添えられた墨石は ぱきんと折れ分かれてしまった。滑らかな艶のある漆黒を何気なく眺め、勿体ないと反省する。

 幸村にとって伊達政宗は純粋な敵意と歓喜を満たす宿敵だった。
師と仰ぎ、主と頭を垂れる信玄と謙信の、此方も宿命ともいえる共鳴に言い表せない 歯痒い思いがかすめるも、幸村も知ってしまったのだ。 相手の斬撃しか見えない。相手の息遣いと筋肉の収縮、致命傷を狙う眼しか映せない。 ずっとこの時が続けば、政宗は心底楽しそうに叫んだ。幸村も同じだった。抗いがたい 、抗えるものか!頭が、脳が、手足が、痺れ何もかものリミッターを外す感覚、 全力を出しあえる震え。信玄・謙信が味わっていたのはこんな世界だったのだ。

「口惜しいか」
 硯にすっと伸びた手を景色のように見つめ、幸村は景色に問いかける。指に挟む 墨石ごと手を持ちあげられ、石は折り畳まれた懐紙の上に呆気なくぽとりと落ちる。 指先についてしまっていた墨の汁も新たに取り出した布で拭われた。爪の間の 黒色はさすがに拭えなかった。
「俺が謙信公に焦燥と嫉妬を抱いたように」
 右手を解放すると手はもうひとつの石を取り除こうと動く。墨汁が乾き始めている。
はやく文をしたたねばならんなあと幸村は思うのだが、筆すら握っていない。 広げられた紙面は白いままにそこにある。

「口惜しいか。佐助」

 窪みでぬれてしまった石を取り出すと、それも懐紙の上に乗せる。綺麗に割れた 断面は、米のりでもつけたらくっつくだろうか。と、動きを何となしに追っていた幸村は 喋る言葉と違うことを思い浮かべた。そのまま使うには少々不便だ。
 着ていた単衣にじり、と薄く汗ばんだ肌がはりつくような感覚さえおこすなか、 背後に付き従う影の冷ややかさと、漏れだす泥濘のようなどろりとした何かに幸村は笑い出す。 職種にしては口数の多い影は当然のごとく幸村の常近くにあったが、影は影のまま無言を 保ち佇むばかりで、不快感を示すかすかな空気だけが影の言葉である。
くちなしを幸いにと、懐紙にのせたまま指先についた墨を拭おうともしない手を掴むと、 ぼそりと影から、
「竜の旦那と闘ってる旦那は、こわいよ。驚いた、旦那も嫉妬するんだね」
「教えたのはお主であろうが。こわい、か。佐助も怖いと思うことがあるのだな」
「あるよ。たくさん」
 その間にも幸村は手の項に自身の手を合わせ、つ、と白紙のうえに体温の低い手の 人差し指をのせる。後ろから僅かに息を呑んだような音がした。
 ど真ん中にたった一字、最後には掠れきり、読み取れるか読み取れないかの 際どい文字を書くと、いよいよ影は汚れていないほうの手で顔を覆ってしまう。 だんな、俺の指は筆じゃないんだけどとも聞こえた。そんなことはお構いなしに、 重ね合わせていた手を離し、幸村は手を組んで満足気に頷いている。
書いたのは個性あふれる書画と言えなくもない、「忍」、これのみである。

「本気?」
「暑くて動く気になれん」
「そうだね、あんたそういう人だよね」
「何を言う佐助!政宗殿も同じ了見だぞ、ほら」
ばっと音が鳴るほど勢いよく開かれた文を見ると、流麗な文字で

『暑くてテメエんとこ赴くのも面倒くさいからそっちから来い』

前略も拝啓もなくストレートに一方的な要求が書かれていた。その後には、 それでも奥州は涼やかで過ごしやすいだの、青葉の見事さだの、夏の樹氷を見せてやるだの、 側近の片倉小十郎が見ればよろめきそうな文面が綴られている。
 独眼竜も暑さで狂ったか、不器用なのかわかんない人だねえと、 盛夏でも表面上は涼しい顔をする忍に、幸村はぐっと力を込めたせいで 皺になってしまった文を投げつけそうになった。
「鍛錬してもこうも暑ければ、熱が溜まる一方だ!政宗殿は雷光の持ち主であるから 良いのだろうが、俺の力の制御が出来ぬわ!!」
そんな情けない姿を武田の将として見せるわけにはいかぬと、 幸村は文机の前でひたすら墨を擦り続けていた訳だった。 そして豪快な「忍」に花押を押し、折りたたむと、微妙な顔をしている忍に押し付け立ち上がる。

「旦那ぁー。俺様もね、忍んでるけどね、すっげえ暑いわけでね。 気抜いたら汗ドバーって出ちゃうくらいなのよ。忍鳥飛ばしていい?」
「もう飛ばしておるではないか」
 すうっと流れるように舞い降り、またバサバサと空を飛んでいく巨鳥を幸村は 歩きながら眺める。照りつける太陽の光の分、出来る影もまた濃かった。


「竜の旦那と闘ってる旦那は、 (たいしょうやおれのしっているだんなじゃなくて、うれしそうで)
こわいよ(まるで、陶酔しきったかおで)
驚いた、旦那も嫉妬するんだね(なんでおれじゃないんだろうなんてかんがえたこともない、 なんであんたのせかいをかってに土足でふみあらすんだろうとはかんがえたけれど、 ひとめいわくだともかんがえたけれど)
「あるよ。たくさん(あの人の眼の火はいぜんよりも増してしまった)
テーマ・過保護な佐助。熱中症との戦いの夏でした。


back