戦場に捧げる煙火(またの名を戦場ラプソディー、もしくは葬送曲)


 朝霧で霞んでいた視界も今や輪郭がぼやけることもなく、木々は細かな水分を身に受けて 一層濃く、むわっと精気が立ちこめるほどに空気の密度は高い。 その中を さり、さり、と足元に絡みつく草を掻き分けながら佐助は歩いた。
 人の手が入っていない森というものは、あまりに生に満ち満ちて、 いっそ奪われる感覚すらある。佐助が赴く先の血煙で燃え上がる灰色の世界が 死の世界なら、ここは生の世界か。否、ここは逢坂の地なのかもしれない。
 人と人の生への執着、死への恐怖、嫉妬と恨み、辛みに興奮の熱気。
 敏感に感じ取る獣は既に密生する森にはなく、かといって、根をはる木々が 動けようはずもない。静かに静かに佇み、迷い込む人の精気をも奪う。
 此処は与え、慈しむ場でありながら、同時に奪い尽くす場所だ。 何もかもがぐにゃりと狂わされる。戦場では、そんな森や林が乱発する。

 奇妙な程に静寂な道行きに光の筋が差しこみ、日が昇っているのに ようやく気付いたように佐助は顔をゆるゆると上げた。
 鼻は忍の仕事柄、既に血の錆付きながらも生温かいにおいに晒されつづけ、 麻痺しかけている。どろりと纏わりつくような殺気の残り香は、 果て、殺され逝った者たちの怨嗟かもしれなかった。
 膝下まであった草が徐々にすねに、くるぶしにまで短くなると、 佐助は立ち止まり、天上へ向けていた顔を正面へと戻した。 今回もいっそ胸焼けがするほどに清々しい地獄っぷりだ。
 いくら灰色の世界といえど、色がないわけではない。
 倒れ、泥にまみれた旗印は将の、軍の色に染め上げられているし、
 (例え茶色く、赤黒く黒ずんでいようとも)
 刀の鍔も槍の柄も、刃先も、てらてらと時折り光に反射している。
 (それは血をかぶらず、油脂で白く曇っていないものだけど)
 所々に設置された防御柵も、木の茶色は目を楽しませるものかもしれない。
 (戦の道具なんぞにされなければ、の話で。人の指の掠れた跡もつかなかったろうに)

 肉の腐り始めた臭いにつられ、いずれ鳥がやってくるだろう。 そうやって、人の魂だとか、想いだとか、光り輝いていたものを連れ去ってしまうのだ。 曝け出された部分は獣が食い荒らし、鎧や具足に包まれた場所は虫が群がる。
 結局、この世界に色がないなんて思うのは、争う人の心根のまぼろしであって、 命の奪い合いに過度に緊張した心の、生理現象みたいなものだ。
 こういうのってなんて言うの?火事場の何とかってか?なるほど、と佐助は得心した。
 口を薄く開け、言葉にはせずに旦那、と唇を動かす。


 目に映るのはまさしく、火葬場そのものだと佐助は思った。
 肉やら鎧やら木やらが焼け焦げるにおいと狂わんばかりの血のにおい、 乾いた汗のにおいが混ざり合って、鼻を通り越し、脳にまで達している。 通りかかる人がいれば真っ先に吐き戻すに違いない。
 視覚的にも最悪だ。炭化し黒ずみ、おかしな形で固まっているもの、 その途中のもの、赤く皮膚が焼け爛れ、 中の肉や骨が見え隠れしているもの。持ち上げればずるりと肉が滑り落ちる 感覚が味わえるだろう。必要でもない限り、そんなものやりたがる奴は まさしく狂い尽くしてる。
 夏の盛りだ、照りつける熱と光は腐食する速度を 否応なく速めて、立ち尽くす上司―――主をも連れ去ってしまう気すらする。
 死の世界は赤と黒で構成された。幸村の元は白かった部分の着衣も、 今や真っ赤で、熱のおかげで乾いた服は足に纏わりつき、動かせば ぱりぱりと固まっていることだろう。背に見える六文銭は、彼が屠った者へと 送る渡し賃だとすら見えた。彼の渡し賃は既に胸元にあるのだから。
 かすかに漏れ出でてくる息は荒く、は、は、と浅く。肩で息をするたび、 幸村が握る両槍の刃先が僅かに揺れる。
 佐助は幸村の背中を見続けた。瞳に感情はのぼらず、其処に在り続けた。
 死体からはぐすぐすと、幸村を絡め取るように細い煙が立ちのぼっていた。




 影のように立ちつづけ、半刻ほど経ったろうか。
 幸村はまだ荒い息で両足を地面につけている。
 唐突に佐助は地を蹴り、風を斬った。ひうんと耳を過ぎる音がする。 予備動作もなく苦無を幸村へと投げつけ、だが等しく幸村も後ろを振り返らず 腕を振っただけで弾き返した。
 炎による照り返しで、幸村の槍は脂が冷えず、 ぽたりぽたりと槍から伝い流れていたのだが、それ故か戦いたりないとでも 誇示するように十文字槍はぎらぎらと光っていた。
 最早刀身からは溢れるほどの焔は出ていないが、主の熱を受けてか、 薄紅の銀色に輝いているのは目視できた。曲げられた空気が幸村の姿をも 揺らめかせるのを佐助はこの半刻、黙して語らなかった。
 殺気を漂わせ、正確に心の臓を狙って放たれた苦無は硬質な音を立て、 佐助は舌打ちする。あと数歩、足を踏み出すと大型の手裏剣をも 回転をかけて、片手で仕掛ける。
 が、それも僅かに身体を動かし、かわす紅い男を佐助は目の端でとらえた。 避けられた手裏剣を操ると、幸村はようやく片手で再び向かいくる凶刃を 地に落とし、眼前に攻まる佐助のもう片方の手裏剣をなぎ払った。
 ふたつともが手から離れても、佐助は心にも止めなかった。 彼はいま、幸村の荒く浅い、浅すぎる呼気を堰きとめていた。
 全てを暴力的に奪い、噛み付き、手は現か幻かわからぬ世界にさらわれぬよう、 幸村の後頭部と腰にあった。絞め殺さんばかりの力で抱きしめ、耳は自分の手裏剣が 情けない音を立てて落ちるのを聞いた。目をぎゅっと瞑り、血と汗と泥と 埃とすすでまみれた顔にこれでもかというほどに触れ合わせる。
 殺気のかたまりであった幸村の瞳は細く、修羅か羅刹かと噂されるのも 無理はない。幸村が少しでもその片腕でも動かせば、佐助の命など呆気なく消えうせるだろう。
 佐助の武具を叩き落し、両腕を地に下ろし、まるで立ち尽くすだけだと言うのに、 身から昇る紅い気の強さは本能での恐怖を否応無く突きつける。
 輝き続ける圧倒的な魂の強さは、美しさともとれるだろう。 清廉な蠱惑だと刻み付けられすらするだろう。 だが強く、強すぎる力は諸刃の剣に他ならない。断ち切れた楔はそのまま、 幸村の身を襲い、滅び尽くすのだ。
 花の色には黒や灰色はないと言う。 花は何よりも純粋で穢れがなく、地獄の色は宿せないと云われているのだ。
 ならば、この腐臭と死でまみれた世界は地獄ではない。 灰色と黒で染まろうが、絶望と人の欲で濁流のように腐れきろうが、 ここは地獄ではないのだ。
 ならば天国か、こんな天国などそれこそ地獄に他ならない。
 だから戦の華たるあんたは此処にいるじゃないか。
 生きて、立って、禍々しいほど赤を振りかぶって。
 赤は死の色だ。佐助は何の疑いもなくそう思う。だが生の色だ。 人の血の管が木々の枝であり、川の支流であるならば、人もまたこの世に生きる 類似の生き物だ。似て非なる、天と地の境の生き物だ。
 幸村の呼吸が極僅か、震えるように止まり、瞳に正気が戻り始めるのと 反比例するようにまぶたが、身体が酷使された疲労に耐え切れぬと、 ぷつりと糸が切れたようにずるずると崩れ落ちた。
 幸村の視界は暗転しかかり、からんと虚しく槍が落ちる。 口唇を触れ合わせたまま、抗えない脱力感に 崩れそうになりながらも、幸村はかすれきった声で、 悲しみと悔しさと言葉にできぬ何かで混ざり合った顔の己が部下を呼ぶ。
 時間がない、そう、時間が。幸村にはそれが口惜しくて仕方がなかった。
 「…………さ、すけ、……」
 まぶたを持ち上げた佐助の瞳にはどうしようもない厭世感と諦めと、 ほんの僅かの抵抗したいと主張する執着が色濃く表れている。
 またお前は心の奥底で自分を責めるのか。自分でも気付かぬ、ふかいふかい 寂しく、光のあたらぬ場所で。
 だから、これだけは伝えねばと、 霞みがかった視界で幸村は口を開いた。
 舌が思うように動かない。 喉の奥が張り付き、乾ききっている。ほんとうに、ひどい声だ。

 「……すまぬ―――――…」

 言ったと共に頭がくらりと、世界が反転した。
 それでもお前は責めるだろう。 だからこれは俺の我が侭なのだ。自己満足に、過ぎぬ。
 幸村はそうして、堰きとめた思考を手放した。それは、佐助が堰きとめようと 口づけたものと、同じ想いだったのかもしれなかった。

 死んだように力を失った肢体を佐助はぎゅ、と抱きしめなおした。 若く、内から満ち満ちる身体の鼓動はゆっくりと、ゆっくりと 休息を感じはじめ、安堵している音にも聴こえる。
 顔に苦々しさが混ざるのも気にせず、佐助は幸村の首筋に顔を埋め、 空を仰いだ。あんたって奴は、どこまで阿呆なんだよ。
 佐助の声も幸村と変わらぬほどの掠れた声だった。

 「戦馬鹿に付き合うもんじゃ、ない」

 腕から噴き出す血が服に染み込み、傷口が布と接着する感覚が 何なのか、佐助は表す術を持たない。
 あんたはそうやって、また自分を責める。ふかいふかい、頭の芯が 焼け切れる、陽光に包まれたあの場所で。
 此処は死につくした、人の世界で、全部が狂ってる。だから俺達は生きている。
 なあ、そうじゃないのか。問いかけても、誰も何も返さないとは知っていたが、 佐助は問わずにおれぬ自分がいるのを茫然と自覚した。

 何処までも、二人だけしかいない世界だった。





このサイトの真田主従は接吻でさえも色気がないよ!という文(…)
トランス状態の旦那を無傷で止められるのは、お館様だけだと思います。