こばなし壱

佐助が初めて戦忍として戦に出た日(佐助と弁丸)
侵食させてなるものか(元就と元親)
附子の母(政宗)




































.
佐助が初めて戦忍として戦に出た日


 「佐助!どうであっ………」

 ぱたぱたと顔を紅潮させて駆けてきた弁丸様は、俺の顔を見て ひくり、と見えない何かに金縛りにあったように肩を揺らした。
 ぶつかるまで止まることすら出来ないのでは、と言わんばかりの勢いも 急停止して、夕暮れの蜜柑色に柔らかい影を落としている。何だ、俺が緩衝材に ならなくても止まれるじゃないですか。小さな影に眼を落としながらそう思う。
 のろのろと顔を上げれば期待と興奮に包まれていた眼は、底知れぬ恐怖と不安感に染められ。 武術を習い始めたとはいえ、まだまだ子供のふっくらとした手は固く握り締められ、 細かく震えている。深爪気味だけど、そんなにも強く握り締めたら手のひらが切れ ちゃうんじゃないですかね。餅のように柔い手には、日々まめができ、潰れ、佐助が手当てをし、 弁丸は顔をしかめながらも治療を受け、そしてまた新たなまめをこさえてを繰り返す。 武骨で、女とも子供ともかけ離れた硬いてのひらにはまだ遠いのだ。

 「………そんなに酷いかお、してます?」

 現実逃避をしてみたが、訪れる沈黙に何となく耐え切れなくなって、 蚊のなくような声で空気を震わせてみる。出てきた言葉の陳腐さに笑いたくなるというものだ。
 そこらの木を止まり木にしているのか、鳥の羽を擦り合わせる音が場違いなほど響く。
 別に、喋りたいわけではなかった。むしろ逆で、ただ眠りたかった。 暗く堕ちつづけるような眠りが欲しい。光よりも闇のねっとりとした息苦しさが恋しかった。

 眼を大きく見開いていた弁丸様は、そろそろと右手を持ち上げたが、 胸元まで拳を上げると、諦めたように手を腰に戻した。震える唇から漏れ出る言葉は、 けれども俺のそれよりはずっと透きとおり、ずっと明瞭で、ずっと人の心がある。

 「……むり、せずともよい。俺が悪かった。ゆるりと休め」

 言うなりくるりと背を向けて今度は静かに歩み出す。俺様も情けないね、 あんな子供に気ぃ使わしてどーすんのよ。僅かに堅さがゆるんだ口から出てくるのは 棒読みな軽口を叩く自分だ。うん、でも、でもさ、あんたが愚かな人間じゃなくてよかったと、 俺は心の底から思うよ。
 井戸水を汲み上げた桶に映った顔の、なんと表情なきことか。

 笑う気にもなりゃしねえ、と思いっきり被った水と一緒に、黒い衣服に染み込んだ黒褐色の 血がどこまで落ちてくれるか。
 ぽたりぽたりと足元に溜まる雫を眺めながら、せめて鉄さびの臭いを消すまでは、 俺はあのお人に近づいちゃいけない気がすると、佐助は一人底の見えない井戸を眺め続けた。
 せめて、あの地獄を目にするまでは。


忍の個人活動と戦じゃ、受けるものが違うんじゃないかなあと思い。
真田さんとこの主従はブラックホール&全てが無限大なので輪郭が固まってません。ので、他の主従ものとは人が違う感じです。主に佐助。


back
















.
侵食させてなるものか


 左手の指の先端、それも極僅かであるからこそ、 元就は眉をしかめることを止めようとしない。 時間の経過と共にじくり、と存在を訴える痛みがただ煩わしい。
 「……っ、…」
 眉間に皺がこれ以上ない程に寄ったところで、腹立たしいとばかりに 桶に手を突っ込む。ばしゃん、勢いに反発するかのように水が跳ね、畳の上に細かな 染みが出来る。その飛び散った水の、じわじわと染み込む様ですら、 己が指先に酷似しているようで、浸している冷たさに緩みかけた皺はまた、かたく凝り固まる。

 何故我がこの様な目にあわねばならぬ。それもこれも思い通りに動かぬ愚兵どもと  あのいけすかぬ男の所為に他ならぬ。ああ、煩わしい。苛々する。

 緩く揺らめく灯篭の火を見るのですら、元就には不快極まりなかった。
 気逸らしにと酒を呑む気にもなれぬ。右手の筆を握ることで温められる体温にすら、 この左手の指先は反応しようとする。元々体温が高いわけではない。 ぬるい熱にすら小憎らしいことに意識を持っていかれるのに、わざわざ 自ら体温を高めたところで、更に増す痛みと、あの男を思い出すに決まっている。

 「おめぇはよう、人が人を産むとこ、見たことねえのか」
 「フン、そのようなことをしたとて、時の無駄」
 「人じゃあなくったっていい。何かが何かを生むってのは、すごいことなんだぜ?」
 「黙れ。主は海の藻屑となる他に、使い道はない」

 勢力は拮抗していたが、西海の鬼とほざく男は単身特攻してきた。
 呆気なく吹き飛ばされる兵に舌打ちをし、元就は武器を手に馬に乗り上げた。 頭の使い方を知らぬのは、軍全体か。と嘲笑すれば、 子分たちを馬鹿にすんじゃねぇっ!と簡単に声を張り上げる。
 じゃりんと鳴る鎖の音を受け止めれば、甲高い金属音が重なり、 ぐ、と元就は小さく呻く。この馬鹿力が。身体の重心をずらし、ぎりぎりと鳴り響く 輪刀で弾き飛ばす。即座に飛び、間合いを開ける。 相手はよろめきもせず、ひゅんと鎖を元の位置に戻した。
 この男は、かなしい、と云う。お前が寄り添えば、気づけば世界は美しく、 魅力溢れると言ってはばからない。それだから何処までも救えぬ。
 我とお前は元が違う。お前のみる美しいものは、お前の世界だけの 偶像だ。それを我に押し付けて、きれいだと言ってみろと。
 玩具で遊び耽る世界はとうに崩れ落ちた。我は忙しい。
 崩壊し腐った世界を何故、見せつけられねばならぬ。

 あんまりにもしつこいので、荒げた声でつきまとうな、点は交じわらぬ!
 青緑の光輪で壁を作れば男はまた、顔を歪めて、
 おまえのかべは、こわれてるのか、いや、こわれつづけて、
 と呟いた。

 ごおごおと噴出した炎の槍にちり、と掠った指先は、だからこそ憎い。 さしたものではないと放っておけば、忘れるなと主張するかのように 最初は気付かせず、だがじわりじわりと内側から熱を主張する。
 無視を決め込んでいた元就にも、繰り返される熱の蓄積による痛みには とうとう耐え切れず、こうして指先が痛みを訴えてくるたび、 手を水に突っ込んで冷やしている。

 こわれているのは、おまえのほうだ元親。


アニキと元就は、解りあうも何も、根本が違ってる気がします。でも、仲がいい方が、すきです。

back
















.
附子の母、毒と転じて薬と為す。


 膳の黒塗りに二、三粒の顆粒が散っているのを見るや政宗は侍医を呼び、誰ぞ体 調の悪くなった者はいないか、解毒薬の用意をしておけと告げた。
 蓋が閉まったままの汁椀に手をのばすと、河豚の汁物が揺れている。

 武田との同盟関係は互いに腹に一物を抱えた危ういもので、どちらかが動けば即 刻戦になる。現に軍を整え先手を打とうとしていた政宗は牽制か挑発か、と呟い た。わざわざ証拠を残したのを見るに、どちらでも構わないのが真意だろう。

「烏頭たぁ、随分と皮肉な真似しやがるじゃねえか」

 かつて母から受けたもてなしの毒牙も、見目は可憐な花によってなされた。群雄 割拠の世にあって所見、毒見の仕方も知らなければ、自分は何度殺されているか知れな い。
 河豚は烏頭を制す。つまり少量で速効性があり死に至る烏頭を、河豚の毒は抑え る性質を持つ。
 思い当たるのが武田の忍なら尚更腹立たしいが相違ない。真田幸 村の部下として保護者面をしている忍は戦場以外で政宗を殺せない。むざむざと 口に含んだとしても、命は落とさずとも一歩手前くらいはやるだろうが。熱血バ カで一直線な真田が易々と許す筈がねぇからなと奥州王は口端を上げる。
 鈍い音を立て真っ二つに割れた椀と膳に突き刺さった脇差は、山を砕き地を穿つ、さ ながら天雷のごとき異様であった。



タイトル反転で正表記。 【烏頭】=うず、トリカブトの母根。
【附子】=トリカブト属の塊根。本来は子根をさす。漢方名は「ぶし」、毒名は「ぶす」


back