こばなし肆

桃と青春(現代佐助と幸村)
伊達ストーリーの川中島(佐助)
狐の嫁入り(真田主従)



































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桃と青春


 幸村が桃を剥いている。
皮を剥くのに集中している幸村を横目に、佐助は剥き終わった桃に包丁を添わせて、 果肉を一口サイズに削ぎ落としていた。皮剥きよりも切るほうがずっと速いから、 正直佐助は手持ちぶさたな状態だ。凸凹の残る桃は、力加減を間違えた幸村によって 指の跡が残っていたが、それでも佐助は手を出そうとはしない。
 ミルク色に淡くピンクがかった果物はふんわりと甘い香りが漂っていて、 よく熟れているのだと知れる。
「――終わった!」
「はいよ。お疲れさま」
 幸村から手渡された桃をするすると切って、佐助と幸村の共同作業は終わった。
 桃なんて随分久しぶりに食べるよ。綺麗に盛り付けられた皿を見ながら、 佐助が包丁を置く。普段飾り立てられるように整列した、箱入り桃ぐらいでしか お目にかかることはない。身近でいえば缶入り。
もらったと幸村が突きだしてきた袋には、十個ほど無造作にそれが入っていた。 落とし物を拾ったから、礼だそうだ。
…紙袋から落ちたのが林檎でも蜜柑でもなく、桃というのは佐助も驚いた。 デリケートなモンじゃなかったか、桃って。

「風邪引いた時ぐらいじゃない―…」
 幸村へと顔を向けると、両の手のひらをじっと見詰めていた。 それから、手首に唇を近づけて、つうと流れていく汁を舌で掬いとる。 下から上へ、ゆっくりと動く横顔、と、伏し目がちな目の視線の動き。
「………」
一連をバッチリと見てしまった佐助は無言で顔を元の位置に戻した。
(…甘い)
 咄嗟に口元に当ててしまった手は幸村同様、果汁で濡れてしまっている。 手がベトベトするとか、顔洗わないととか、行儀悪いよ旦那…なんて吹っ飛んで、 佐助は赤くなった顔をどうしたものかと、そればかり考えていた。


桃ってどこまで剥いていいのかわかりません

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伊達ストーリーの川中島


 草の香りが鼻につく。
 霧で視界は最悪です、ついでに理性ぶっ飛んだ独眼竜に吹っ飛ばされました。 被害状況はもうすぐ川渡りきる奴が一名、以上。
と済ませてしまえるほど、佐助は怠惰にもなれず、ずるずると足を引きずって 朝もやの中を移動していた。 細かい水滴が肺の隅々に行き渡り、只でさえ浅い呼吸に追い打ちをかける。 痰が絡んだよりも水分量の多い咳を繰り返すと、口端から唾液と一緒に 混じった血がたらりと伝っていった。咥内を切るとこれだからいけない。 息を吸うときに血が肺に流れ込むと、余計に苦しくなる。拭うのも億劫で、片手を 湿気た木の表皮に、もう片方をだらりとぶら下げたまま霞む景色を前に、 ただ足だけは動いていた。
 髪も服もしっとりと濡れそぼるなか、血の生臭くもあるそれの理由を、 佐助は考えたくなかった。痛みに耐性が出来ていても、所詮は人間だ。 死ぬときはあっさり死ぬ。
こんな思いまでして、俺様は一体何してんでしょうかねえ…ああ忍だからか。 じゃー仕方ねえわ。次はもっと楽に生きたいよ。疲れんだよね、このお仕事。 などと朦朧とした頭で、走馬灯がわりにつらつらと考えていると、陣幕が見えてきた。 天意があるのかは知らないが、この世は佐助をさくっと殺しはしないようだった。 白い幕の内側には佐助の主がいて、その主たるや何度力技で佐助を川から 引きずりあげたか、知れないからである。

 主の幸村は佐助の様相を見るなり、目を瞬いて口を開きかけたものの、 すぐに戦う者の顔になった。ずくずくと疼く傷を押さえつけて報告をする佐助を 見る表情は固い。元々要となる奇襲の任を負っていたのだ。好敵手が自分目当てに 乱入してきたとあれば、強張りもするだろう。
座り込んでるんだか、跪いてるんだかわからない格好で報告を終えた佐助は、 すまねえ、旦那と幸村に向かって呟いた。
これでは奇襲作戦がどうこう言っている場合ではない。自分はどうなっても良いが、 この暑苦しい若い主が死ぬのは許せなかった。佐助は執着出来る理由がなければ、 自分を納得させられない。紙面に名も残せない忍はせめて、死ぬ理由くらいは 意味を持たせていたかった。

「承知した。お主は休んでおれ」
「そーさせてもらうわ…もう俺様へとへと」
 霧と脂汗と出血で身体中が脱力しきっている佐助は、ひらひらと手を振って返す。 いつもならしっかりせぬかと叫ぶ幸村も、獣めいた眼のまま笑って手綱を引いて 駆けていった。
 馴染みの忍が呆れた顔をして手当てしている最中、佐助は幸村と独眼竜との 一騎討ちに間に合うだろうかと、当然のように思った。激痛に小さく呻き声を もらしながら考えることでは、当然なかった。

ここは草の香りが鼻につく。枯れゆく草木は朱に染まり美しく、 赤の染衣装をまとう幸村と溶け込んでいた。
「散らせて、たまるか、…ての」

緑ならここにある。季節が変わるにはまだ早い。


佐助シーズン=秋になると、こんなネタばかり天から降ってきます。

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狐の嫁入り


 こめかみにずくりと疼く痛みが走って、幸村は息を詰めた。
血管を伝って、耳にもその脈動が響きそうだ。くらりと視界がぶれて揺れる。 咄嗟にまぶたを閉じ、固く噛みしめた唇から、不自然にならないほどの呼気をこぼす。 そうして視界を開けさせてみれば、幸村を覗きこむ顔がある。
 優秀な部下は手先が器用で、態度も器用で、顔の表情は実は器用なようでうまくない。 表情筋の意味でいえば、これぞ忍よと言えるのだが、長年共にいる幸村には 佐助の眼が心情を語る術なのだと気づいていた。
知られてしまうと、完璧主義な幸村の直近は陰でこっそりと、喜怒哀楽を隠すのに 躍起になるのだろう。そう感じていたので、幸村はそれを言わない。
(ついでに直近というと、この部下は、俺のオシゴト知ってんなら言うもん じゃないよと苦い顔をする)
「あんたは自分を知らない」
「…だろう、な」
 温度の色すらない、無そのものの声が落とされた。出会った当時のような無表情。
頬当てにちりと光が反射して線が走る。髪も輪郭の部分が透けていた。 部下である男の後ろには、薄く引き延ばされた雲が広がっていて、 日が現れた時にだけ反射して光っているのだった。逆光、と幸村は思った。
「認めてる余裕あんなら、自分の状態くらい把握してよね」
「動けたぞ」
「それは気力。普通なら死んでるか虫の息」
 ぐっと首裏に手を入れられて、幸村はようやく自分が寝転がっている事に気づいた。 物言いとは裏腹に、幸村を抱き起こす動作は酷く繊細だった。膝裏にも手を回され、 持ち上げられてスタスタと歩き始める。
抗おうとするのは早々に諦めた。手がだらりと垂れさがって揺れるだけのものになっている。 じんじんと痺れて動かないのだ。手も足も思考回路も。
「さすけ…おぬし、せめて馬に」
「忍の脚力なめてんの」
「だが、それが俺なのだ」
「知ってるよ。全部、しってる」
 顔だけは唯一、なんとか動かせたので、幸村はしたたるほど血を浴びた部下の 服に頬を寄せた。 肩口からは、温かく生々しい鉄のにおいがする。
おまえこそ自分の状況が わかっておるのか。幸村より酷い傷を負っている男は、気にもしない。 主を生かすためならば死ぬる覚悟があるのだ。それは幸村にも当てはまる。 ただ、佐助はそうするのが当然で、そして世間では心配をかけられる存在ではないだけだ。
自分よりも自分をしっている男の頭上に見える空は、いつしか晴れ渡り碧く照っているのに、 霧雨は止みそうにない。


覗き見禁止。旦那は限界を知らないから旦那でいられて、 佐助は限界を知っているから佐助でいられるんじゃないかなあ


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