2月14日の“みんなのうた”


 通学路に通りかかる家から、塀を飛び越えて咲き綻ぶ梅の甘い匂いが 朝のつんと冷たい空気に混じるころ。ランドセルを揺らし、手袋に息を 吹きかけながら学校へと辿り着いた幸村は、後ろから「よう」と呼び掛けられました。
振り返ってみると同じクラスの伊達政宗君です。政宗は有名な名門幼稚園に通っていた、 海外留学もしている帰国子女なのだそうです。大企業の『ちゃくなん』で エリートな彼が何故、エスカレーター式の学校を蹴って公立の小学校に 通っているのかは分かりません。幸村はそういった個人事情が気にならない人でした。
 人付き合いをあまりしない政宗は何が気に入ったのか、幸村とは話す方です。
二人はドッジボールで小学生とは思えない白熱の戦いを互角に繰り広げたりと、 ライバルとして数々の伝説を作り上げていました。

「政宗どの。お早うでござる」
「Good Morning.アンタは気楽そうだな」
気楽?気楽とはどういった意味でござろうか。佐助が編んでくれた手袋に 顔が弛んでいたのが出ていたのか?幸村は寒さで赤くなった鼻をすん、と 言わして考えこみます。だけどぬくぬくで、何より忙しい佐助が幸村のために 編んでくれたのです。嬉しくてにこにこしてしまうのも無理はありません。
「い、いくら政宗どのといえど、佐助の手袋は渡せませぬぞ!」
「Pardon?…手袋が何だか知らねえが、今日は荷物が増えて面倒だぜ」
 見れば、政宗の片手にぶらさがっている袋には、綺麗に包装された 小さな箱が沢山詰め込まれています。校門前でこれなら、下校までに いくつ袋の山が増えていることでしょうか。それとも減るのでしょうか。
「配るので?」
「ばか。逆だ、逆。今日はバレンタインだろ」
「バレンタイン…」
幸村にとってのバレンタインは、女の子や近所のお姉さんからチ○ルや チョコを貰える日という認識です。チョコを好きな人へ渡すのは知っていても、 甘酸っぱい恋の日という感覚はありません。 幸村の斜め前の席で「恋」を陽気に語っている、前田慶次君の言うことも さっぱりな幸村です。高学年になって女子が急に花が舞いそうに女の子らしくなっても、 幸村は幸村のままでした。政宗や慶次は幸村のことを、天然記念物か絶滅危惧種並の 天然だと思っています。自分たちが早熟だという認識はありません。
袋の中身がチョコレートの山だと知った幸村は、気の毒そうに袋を見詰めました。
「元就どのが烈火流水のごとく怒りそうでござる…」
「規律は破るためにあんだ。教師も貰ってんだからかまやしねえ。You see?」
 しかし、と言いかけた幸村の半開きの口に、政宗はいつ取り出したのか 茶色の粒を押し込みました。むぐ、と驚きと口内のとろける甘さに幸村が押し黙ると、 政宗はしてやったりな顔をして、
「甘党が恵まれなかったら絶望的な日だもんなァ?心して味わっとけよ」
といいつつ下駄箱へ歩いて行きました。おいしい。おいしいのだけど、 チョ○ボールでもチ○ルでも板チョコの味でもありません。甘党の誇りにかけて、 子供ながら舌には自信のある幸村です。空を仰いで顎に手をやり、 「政宗どのは貰うより作る方が好きそうでござる」と困った顔をしていました。



 バレンタインデーの会社は戦場である。菓子会社の陰謀によってオフィス中に カカオの香りが漂っているから、早くも花粉症の洗礼を受けてる奴なんか鼻が 敏感になってて、その匂いにすら反応する始末。男どもは普段机に忍ばせてるチョコや クッキーをこの日のためにやっつけて、義理チョコだけでも入るスペースを 作ってたりする。男も考え事や小腹が空いたりで甘いもの欲しくなったりするんです、 お陰でメタボ道に加速かかってます。背中に影を背負いながら語る後輩もいる。
 踊らされているとはわかっていても男です。ウキウキソワソワなんかもしちゃいます。 しかし現実は厳しく、取引先の顔馴染みには「うるさい!私の愛は 謙信様だけのもの…ああっ、謙信様…」と頬を赤らめて、赤らめながら 柿ピー(お徳用小袋サイズ)を投げつけられたりする。チョコがけはセルフサービス という意味だろうか。いや、純粋にお茶受けが柿ピーなだけだったんだろうな…。
 俺だってもらえないわけじゃない。むしろかなり貰える方に入る。 本命っぽいのもそこそこあったりする。 だけど俺は憂鬱を吐き出すように溜め息をついた。

 今朝、幸村に手袋を渡した。俺がかぎ針使ってこつこつ編んだやつ。 旦那(幸村のことなんだけど)は「しんとうめっきゃくすれば火もまた涼し! 修行だ!」と言って素手で通学している。 俺が一回りも違う子供を「旦那」なんて呼ぶのは、幸村が時代劇や大河が好きで 真剣に見るものだから、軽い気持ちで「真田の旦那」と呼んだらお互い しっくりきてしまったという裏話がある。俺だって佐助殿とか父上やパパなんて 呼ばれるより、名前呼びされる方が精神衛生によろしく、 はたから見れば可笑しな呼称で呼び合っていた。
 ともかく大将に何吹き込まれたのか知んないんだけど、素手は見てるこっちが寒い。 そしたらV.D特集で並べられてる手芸の本が目についちゃって以下省略。 地味だけど、ミルクチョコのような色の手袋を幸村はとても喜んでくれた。 早速マフラーかセーターの次回作を作ろうとしてる俺は信幸の事を言えない。
信幸はプロジェクトが静観段階に入り、よく俺の家に襲撃…訪問するようになった。
兄弟水入らず、仲良きことは美しき哉。度を越えていても微笑まし哉。 だが俺へのダメージが半端じゃない。

「あまり食べていないじゃないか、佐助」
「午前様で食欲がなくてね…」
「おかゆは?この前、調理実習で習ったから俺でも作れる」
「旦那…」
じーんと来た。良い子に育って…!だけど正面から来る静かな冷気で、 マジで風邪ひきそうなのでご遠慮させて下さい。信幸はふんわりとした笑顔のまま、
「胃の調子が悪いのなら、胃カメラを飲んでみたらどうだい? 全身麻酔をすると不平不満が際限なく飛び出すそうだ。 勿論本人は全く覚えていないけど」
優しく穏やかな空気をかもしだしながらさらっと言ってくれた。
底知れない悪寒を感じて、俺は平気平気!と壊れた玩具みたく繰り返していた。 天国と地獄は似た顔をしている。ちくしょう。それぞれ意味は違うけど、俺この兄弟に弱い。

先日の苦いおもひでを反芻して、帰宅途中のスーパーで買い物をして玄関の扉を開くと、 旦那が小走りで向かってきた。
「ただい、……!?」
「おかえり!」



 佐助の帰ってくる時間を待ちきれない様子で宿題と向かい合っていた幸村は、 玄関のノブが回る音を耳にとらえると、一目散に飛んでいきました。 靴を脱いでいる佐助は今朝の政宗のように、手には紙袋を持ってぐったりしています。 幸村の姿を見ると、ほっとするように佐助はただいまと言おうとしましたが、 言いかけの途中で幸村は佐助の口に一口大のお菓子をぽんと押し込みました。
 まるで朝のリピート再生のようでしたが、佐助が目を白黒させている間に、 幸村は毎日の挨拶を返します。もごもごと口を動かしていた佐助は中のものを飲み込むと、 混乱しきった顔で幸村を見下ろしました。
「団子…?」
「バレンタインは、好きな人にチョコを贈るのだろう?」
佐助は甘いものがあまり好きではないから、俺と佐助の好きな海野屋の団子を。
「それで、団子…」
「迷惑かもしれないが、佐助が俺に手袋をくれたように、俺も佐助のために何かしたい」
「旦那、バレンタインの意味…わかってないね、こりゃ」

でも、ありがと。と佐助は幸村をぎゅうと抱きしめました。幸村は背が伸びて、 佐助が屈むのも段々と角度がなくなっていきます。
 いつか幸村は一人暮らしをして、佐助の家から去っていくのでしょう。 突きつけられる未来は遠いですが、手放しがたい宝物を守るように、 佐助は幸村を抱きしめていました。幸村はいつでも火のように温かいのです。





幸村呼びはしっくりこなかったので無理やり旦那呼びを推して参ります。