おかあさんといっしょ


 顔を少し動かせば、ふわとした猫毛が顎に当たる。羽根に包まれる微睡みの中で、 腕を柔らかくあったかいものを抱き込むように回す。 とくりとくりと規則正しい鼓動に佐助は幸福を感じた。子供の体温は温かい。 とろとろの睡魔を助長してくれる。昨日だって佐助のベットで健やかに眠っている 子供を横目に、PCと珈琲片手に長いデート(嬉しくない)を過ごしてきた後だ。尚更だった。


佐助が子供片手に眠り込んでいるのには訳がある。
ある日唐突に、会社社長に呼び出された。それ自体はそう珍しい事でもなく、 今度はどんな面倒事なお仕事なのやらと重厚な扉を潜ると、社長は口端をあげて、 子持ちになってみんかと佐助に爆撃を食らわして下さった。

「ちょっと待って下さいよ大将!タチの悪い新手のお見合い話!?」
「おお、それも良いのう」

よくねえ、と佐助は強く思ったが、そういうものは当人同士であれこれするものだし、 見合いだとて佐助の歳だと、昨今なら寧ろ早すぎる類いですらある。 後見人として佐助を拾ってくれた社長に恩も感謝もあるが、些か早急ではないだろうか。
「そのままの意味よ。おぬしとも交流があろう。真田信幸の弟を引き取って みんかと言っておるのじゃ」
「信幸の…?」
 同期の真田信幸は先日、忌日休暇を取ったばかりで今もその筈である。 彼の父親で会社役員の一人でもある真田昌幸が、海外へ出張中飛行機の エンジントラブルで帰らぬ人となった為だ。佐助と信玄も葬儀に出席したが、 喪主の信幸がやや疲れ俯いている顔を見るだけになり、話は出来なかった。 いや、信玄は多少話をしていたように思うが、この事だったのだろうか。
「信幸には父親の跡を継いでプロジェクトを任せようと思うておる。 奴ならやり遂げるだろうてな」
「…でしょうね。信幸は能力も才能もある。事情が事情でもあるし、 他の奴に任せるより余程、」
「成功率は高い。ただのう…」
 思案するように口ごもった信玄に、佐助はそれで子持ちだの弟の話が 出てきたのかと察した。顔がひきつるのも無理はない。 昌幸も信幸も、その弟を目に入れても痛くないほど可愛がっているのは 本社内では有名な話だ。昌幸のデスクには当然と言わんばかりに写真が飾って あったそうだし、日替りで変えられるようスペアが引き出しにも入れられて いたらしい。信幸だって一緒に飲みに行った時に散々弟自慢をして下さる。 毎回。飲まなくとも弾丸で繰り出される溺愛っぷりのキレに変わりはない。
 真田課長って涼やかで素敵よねと頬を染めている女性達の先にいる、 信幸が持つ携帯電話の待ち受けが何か知っている佐助は空笑いで通りすぎているのだ。 その、弟。

「色々あるようで、幼い弟が気掛かりだと。儂も何とか出来んものかとな。 なに、会ってみたが甘たれだとも中々骨のある童じゃて」
儂自ら引き取るのもよかったが、流石に躊躇しとったわ。
それで俺ですか。殺されます、信幸に。
佐助が本能で感じた危機感はあっさり却下された。そうして、佐助と弟、 真田幸村の生活が始まったのだった。



 幸村は快活な子供だったが、存外物分かりの良い子供でもあった。 だからこそ佐助も共に住めたのだろう。
 初めて生活する事になった日の夜、忙しく子供用の寝具が買えないままだったので、
佐助は翌日買ってくるからと幸村に自分のベットを明け渡し、ソファーで横になろうとした。 寝室を覗いて寝たかを確認し、出ていこうとして違和感を覚えたのが始まりだと思う。
狭いベットでも十になるかならないかの子供には大きく、寒々しい。
掛け布団をめくると、幸村は小さく小さく丸まって小刻みに震えていた。 こんなにちっこいのに。こんなにちっこいのに、声を殺して泣く事に慣れて。 信玄の希求まじりな言葉を思い出した。
『幸村は、おぬしを変えるかもしれん』
なら、これが本格的な始まりなのだ。予感がした。
 外気にさらされてビクリとした幸村に佐助は安心させるように笑って、ごめん。 寒くてさ、いれてくれる?と幸村の横を指差した。 ぱちりと瞬きをし、一粒雫をこぼして頷く。幸村は強い子供だった。
佐助が中に入るとやはり狭かったが、そろそろと幸村に触れると あちらも自ら寄り添ってくる。時折幸村が震えるのを直に感じながら、 子供用のベットを買うのは止めようと決める。幸村は強い子供だった。 しかし父親を亡くし、家族とも離れた幼い子供だった。


 二人がひとつのベットで眠るようになり、佐助が人の体温に 慣れるようになって久しい。今日は休日、外はひんやりとしていて、 雪でも降っているのか底冷えがする。ますます腕の中の幸村を手放しがたく、 佐助は幸せを長引かせようと躍起になっていた。

携帯の電源は切った。電話線も寝る前に引っこ抜いた。後はさっきからかすかに 鳴り響くチャイムを無視さえ出来れば…

三十分はゆうに鳴り響いていたピンポーンの軽快な音が止み、 佐助はほっとしたが、続いてカチャリと鍵の開く音を聞いて青ざめた。 ついでに飛び起きた。それでも幸村はくうくうとよく眠っており、 佐助は起きて欲しいような寝ていて欲しいような相反する願いで見つめ、

「やあ、おはよう」
「……ピッキングまでやらかすとは」
「やってみれば出来るものだね」

さようなら俺の休日!





おかあさんもといおとうさんは365日頑張っています。