尋ね、答え


 泥に塗れた溜りがひとつ、雲から流れ落つる水琴がてんてん、てんてんと。
 鈍色の足元に跳ねるを見て、土くれに澱んだ水は、さて、跳ね霞んで白色が強いと見えるが 美しいと言えるのだろうか。雨が上がれば水鏡にもなるのかもしれないが。
 ぬかるんだ地面を踏みしめ、ぐちゃりと音を鳴らし、そうして佐助は 回避することも躊躇することもせず、水溜りを泥水へと変えた。 侵食する水には気持ち悪さを感じたが、そのまま立ち止まり、三歩先の何の変哲もない 濡れそぼった木を仰ぐ。

「そこを往くお嬢さん、迷子なら傘をお貸ししましょう」

 くるくると紅い番傘をまわして見せると、雫が飛ぶが反応は何もない。 あらら、と言ってみせるがさして諦めたふうもなく、手慰みに数度傘を回転させる。
「迷子じゃないってか?なら何で此処にいる?」
「……物好きね。あの人みたい」
 疲れきり、ぼやくような返答があったのに対し、佐助の返答は 「そりゃまあ、お仕事以外で死なれるのもね」と簡潔に尽きた。 そして自分の知る女は、自分ではない誰かを見ている確率が高すぎやしないかと、 男の矜恃が嘆いたのを佐助は感じ取った。つれない蜂蜜色の髪の同郷を思い浮かべるが、 佐助だとて似たようなものである。
「それもそうかもね」
 かさりと音も立てず、木の根元に立ったその姿、身のこなしからも相手は忍びの者であると 悠々にわかるが、予想よりも若いくのいちだった。 だが生気に欠けているのは目にも明らかな憔悴ぶりで、若々しいはずの姿は ずっと歳をとっているように見える。老婆の類ではない、幽鬼と呼ばれるような。

「迷子、か。それならまだマシだったかも」
あの人はとてもとてもとても酷い人だったけど、とてもとてもとても優しい人だった。
「こうしてお迎えも来たし。不精にも程があるにゃー」
苦笑しながら上体を屈め、番傘を手にとると「ありがとね」と佐助に言う。

 鉛色の曇天、湿気が今にも雨を呼びそうな不吉な匂い。けれども筒は火を噴いた。 馬防柵が敷き詰められたあの日。かつて栄華を誇った城が炎上したあの日も。 あたしがついてないと、普段どっか抜けてるんだから。馬鹿よね、ねえ、―――。


 佐助に向けた番傘がくのいちの顔と身体を隠してしまう。さらさらと、 小雨になった雨粒がしとどに佐助の髪を濡らすが、ふわりと暖まるような風が吹くと 少女の姿も鮮紅の番傘も忽然と消えていた。
 風と共に、《すまないな、くのいち》という声が届いた気がしたが、 佐助は何の用もなかったように反転し、歩き出した。それほどに風は火のようにじんわりと 温かく、慈愛に溢れ、また謝罪めいてもいたからだ。






 濡れ鼠になりつつも、安定の悪くなった地面に足を滑らせていると、 突然濃緑が飛び込んで来た。葉と間違えてしまいそうな緑は確かに、 雨でまぶたが閉じそうになるのを見間違えなければ、見覚えのある番傘である。 傘を持つ主の袴は珍しく、泥や水に濡れてはいない。どうやら静かに待っていたようだった。

「俺の傘は役にたったか、佐助」
「うん、さすが旦那。効果絶大」
 佐助が笑んで言うと、幸村も何も問わず「そうか」とだけ言った。 充分に濡れて意味がないというのに主が手招きをして、入れと催促するので軽口を叩きつつ、 結局佐助も番傘の中に入ることになった。


 後に屋敷が見えるかといった時に、主たる真田幸村は思い出したように言葉を乗せた。

「菖蒲の咲く道案内は出来ただろうか」





菖蒲はあやめと読んで下され。