セレンディピティをもつ男(相殺戦)


おれがいなくなったらどうするのであろうな。
突拍子の塊がいうことは、実に心臓に悪い。予測ができないからだ。
「佐助が先に死んだなら、それは俺と在るときに他ならぬが、俺が先に死んでしまったら」
おぬし、どうする。

 自分勝手な言い分である。この子供は佐助が諜報・暗殺任務で離れねばならないときに、 死ぬ可能性をはなから許してなどくれない。至極当然に、戦場で光陰のように寄り添い散れと 言う。始末が悪い。なんといっても佐助はずっとずっとこの身勝手な子供の後ろで、 戦場を見ていたいと思っていたからだ。視線の先にある世界をまばゆく憎々しく思いながら駆け、 子供の躍進する姿を、日に透ける茶色と金の髪が舞う背中を見ていたかった。
人を殺すのが正当化される空間は忌々しいものだったが、 子供が何より輝くのもその空間に他ならなかった。

「ひどいよ、旦那」
 幸村は佐助が死んだ後自分がどうするかとは言わない。それであえておぬしは、と聞いてくる。 佐助はその部分には触れずに、後半部分の笑えない問いかけに対して答えた。 先に死なせないために自分が、自分“たち”がいるのだ。

 悪戯が成功したような顔をする幸村に、お仕置きだと言って苦い粉薬をずい、と差し出す。 床について上半身だけを起こしている幸村は案の定、顔がこわばってしまったが、 性質の悪い悪戯を叱るのも子供には欠かせないことである。それ即ち、躾である。 (とっくに元服している幸村にとっては不名誉極まりない。)
佐助としては、粉薬を飲ませる口実ができたと喜んでもいいぐらいだ。
幸村はじとりと佐助を睨みつけたが、こちらといえば笑顔で白湯を差し出す (奥州の伊達あたりが見たら仕返しであると確信する)余裕すらある。 かたや恨めしそうに散剤と保護者を睨む幸村と、手馴れた様子でにこりとする佐助。
 やがて喉をこくり、と鳴らしてがっくりと肩を落としたのは幸村だった。 母、いや、守るべき者がいる者は強いのである。 抵抗したものの自らに否があるとわかっているだけに、幸村は比較的素直に薬を手にとると 一気に白湯で飲み干す。涙がでてきそうなほどの苦味が残りつづけ、もしやあやつ、 わざと苦い薬を持ってきたのではあるまいなと思いつつ、 白湯のおかわりを催促するしか出来なかった。


 袖から覗く幸村の腕には包帯が巻かれている。先日の戦で負ったものであった。 いくら強くとも、一番槍を望むからには危険も跳ね上がる。佐助が信玄の守りのひとつとして 置かれたり、策の一端を担う時などは幸村の傍につくことは出来ず、 後方の押えがいないからか無茶をしやすい傾向があるのもその要因の一つだろう。
熱がひいたとはいえ、包帯が解かれる日も床上げできる日もまだまだ遠い。
傷自体は浅かった。しかし毒が塗り込められていたのが悪かった。 尚且つ、毒と理解しつつも勝機を逃がさんと縦横無尽に暴れまわったという最悪の事態を 聞かされたときの佐助の心境など、表せるものではない。 即座に最低限の血抜きはしたらしく死には至らなかったが、ええはいそーですか、 そうね、ふうん、の相槌を聞きながら報告を続ける忍の顔色が次第に色がなくなり、 周囲の忍はやたら声が低くなっている長の背後に般若を見た。顔は見れない。 見たら再起不能になってしまう。真田幸村のためあればと過激な部分も多い真田忍軍だが、 嗚呼、間違いなく我らの長は佐助様なのだと胆に命じた者は多いと聞く。
運悪く居合わせてしまった武田忍も内容は少々異なるが同様の思いを抱いた。
当の幸村、佐助両名は預かり知らぬ事である。

 二杯目の白湯を飲み干した幸村は椀を渡すと、床につくよう掛け布を持ち上げた佐助の手を 押し止める。顔は悪戯小僧のそれではなく、一人の武士として、主としての男の顔だった。 始末が悪い。佐助は幸村が『真田幸村』として在れるなら、どれほどに身を裂かれようと 自らの意志を捨ててしまえる類の人間だ。
「俺が死ねば先を縛るつもりはない。好きに活け。引く手数多、如何様にもふるまえよう。
 だがな、もし」
折角話をそらしたのに、ひどいよ、旦那。
口をついて出そうな言葉を呑みこむのはさほど苦労はしなかった。 佐助にとっての指標か最終通告かは知れない。 だが眼前の主は今後の佐助がいつか思い出すであろう言葉を吐こうとしている。吐いている。
「追腹するのであれば俺の隣りにしろ」

主の傍に忍が横たわるなんて、とか言って人知れず身を隠すな。
死期を悟った獣のように死に場所を探すな。
あちらで落ち合うのに苦労してもつまらんのでな、手でも掴んでおれ。逝く場所?
決まっておる。俺もお前も揃って地獄巡り、閻魔王に申しだてする余地もあるまいよ。

「再就職先が思いつかなかったら、そうするかな」

旦那方向音痴だしさあ、迷いまくって腹減ったーなんて喚かれてたら、 俺様ぜったい安眠できないね。団子投げつけようにも何処に向かって投げりゃ いいのかわかんないじゃん?それでもしぶとく生きてるかもしんないけど。

「旦那も俺もまだ生きてるから、その時になったら考えるよ。さあさ、寝た寝た」

 佐助は冗談めいてにへら、と笑ってみせるが、幸村が死んだ時もその後の自分も只々白く塗り 潰された光景が広がるばかりで、何一つ具体的な未来など思い浮かばなかった。
想像ですら佐助の身の振り様は白紙であった。 恐らくはそれこそが佐助の本心であった。





セレンディピティ=求めずして価値あるものを見つける能力・才能