焔と梅と煙がひとつ、


 ゆるりと首を蒼穹へ向け、心在らずかと喉をつきそうな程に静かな声色で言うのだ。
 「ああ、生きている」

 意識して出た言葉ではないと佐助は知っている。つい、言うはずもないが漏れ出てしまった。 そんなところだろう。佐助とて、覚えの無い感覚ではない。主がぽつりと零した言葉もまた、 例えば人を殺したのちに見る朝陽の昇るさまを、目に焼き付けてしまったときに、 眉根を寄せて、あるいは何の感慨も浮かばぬままぼんやりと感じることがある。
 天へとぬけるような青空は、水の底の深い静寂かのように現世を忘れさせる。 雲ひとつなければ余計にだ。

 光を反射させる水面が命のかたまりならば、 ただ青い空は届かない手を伸ばしているのを見せ付けられるようだ。 戦場を駆けようと、こうしてお前と隣り合って茶を飲もうと、空は変わらぬ。 お館様の覇道を悪しく言うわけではないが俺たちは何ともちっぽけであろうな、
佐助。

 ほんの少しばつが悪そうに言う主に佐助は、さぁてね。俺はあんたの世話をするので精一杯。 そう返しただけだ。事実、佐助は団子の二皿目をせがむ所在無さげな主の手を だめでしょ、と押し返すのに奮闘中であった。
 佐助には天がどうだの、地がどうだのだから何なのだとしか思わない。お公家のような雅やかな思考を持っているわけでもなし、 持つのは真逆の血と影に濡れる「今」だけだ。そんなもの、考えたいやつが考えてりゃ いい。自分が考えることといえば、目の前で口を尖らせている子供だけで充分だ。 これ以上のものを背負ったとして、身が重くなりども軽くなるとは思えない。
 忍は身が軽くなくては。そういう、いきものであるからにして。

 「生きて、おる」
 またもや眼を空へ向けたまま、主が零す。誰に言うとでもなく、発することで 自身を確認しているのだと佐助にもわかっている。わかっているのだ。
 だが佐助はこうしているときの主はあまり好きではない。焔が徐々に 消えかけるような頼りなさを感じてしまう。嫌いかと問われれば まさか、と嘲笑うことも出来ように、問う人間もここにはいない。 常のあの五月蝿いと言わんばかりの声と存在感は何処へと飛ばしてしまったのだ。 それとも心の臓の奥底深くヘ隠してしまったのか、否、隠しているのは、恐らく。

 ふと、空気ががらりと、鮮やかに切り替わるのを感じて佐助は息を呑んだ。 頭のすみを蒼い炎がちらりちらりと舞い上がる。小指の先ほどの、主が首から提げる 六文のうちのひとつほどの小さな火。ぞわりと背筋を駆け巡るなにかには 幼い頃から付き従う佐助にも未だ、抗えたことがない。一生抗えはしないと 佐助は確信している。これを歓喜と言えばいいのか、狂喜と呼べばいいのか。
 炎は確実に佐助の脳髄を焼き尽くす。あまりにも静けさを保つがゆえに、 何者にも揺らがないあおいあおい火。まったく、これだから手におえないと 目を瞑り顔を覆いたくもなるものだ。一度でも触れればまさしく劫火。 青い焔は冷たく容赦がない。恵みを与え、じんわりと魂の緒を焼き切るのが 赤い焔なら、青い焔は禍根も何もかもを一瞬で無に帰してしまう。

 「やるべきことも、やりたいことも、まだ、きっと」
 ぐっと掌を握り、ゆっくりと目蓋を閉じてひとつ、深呼吸をして 再びすう、とまぶたを持ち上げたと途端、青い炎は見事に立ち消える。
 そして主は見苦しくない程度に調えられた庭を見渡して言ってくれるのだ。
 「佐助」
 「はいよ」
 「梅が咲いておるな。匂いが風に乗ってくる」
春も近かろう、と目を細めて花の芳香を楽しむ男には、先程の余韻も 覇気も何もない。
火のないところには煙は立たまいとのからかいは 旦那には無意味だねえ。と言ってやりたいものだ。いや言ったことは、ある。 不思議そうな顔で、俺がいなくとも忍の者たちは存在(いよ)う。と返されたので 記憶から消去しようと努めただけだった。
 「そうだね。紅梅が見頃になってんじゃない?」
 上田城に植えられている紅梅は時節ともなれば、それは見事に咲き誇る。 春の訪れを告げるかのように咲く花は、個々が小さくとも目を引くものだ。 行き交う人が行きでにこりと枝振りと香りに微笑み、帰りで「なるほど。この城は紅梅が よく似合う」、晴れやかに笑って帰った様子を何度呆れながら見たことか。
 そうか、視察と共に観るのも良いかもしれん。腰を浮かばせつつ、ふと、 思いついたかのように主が動きを止める。

 「上田城に植わっておるのは紅梅ばかりだな。白梅は植えぬのか?」

 既に立ち上がり控えていた佐助は「旦那ぁ」と非常に情けない声を出してしまった。 ついでにその場に座り込んでそのまま寝てしまいたくもなった。

 空は晴天。風にかおるは梅。耳に飛び込むや平和な鳥の声。条件はいい。



 「大将ならまだしも、俺は反対だね。
  毎日甘味所に紅白饅頭はあるかい?なんて尋ね歩いてる様が浮かぶよ、ほんと」




焔 と 梅 と 煙 が ひ と つ 、さ て さ て 春 の 訪 れ と


旦那の核は火傷じゃすまないんだ、と言いたかった(はず)