藍紅、最後はまろうて


 幸村が出城を築くための指揮をしていたところ、武蔵が憮然とも 無表情ともつかない様子で現れたのは昼に差しかかろうかといった時分だった。 設計図に時折印をつけながら見回り声を掛けていく幸村の後ろをついていき、 幸村が休息を告げて振り返ると、ゆったりよりものろのろといった足取りで 腕を組み後を追っていた武蔵が見えた。そのまま横に並ぶまで武蔵の歩みは止まらず、 幸村は武蔵の動きに合わせて首を動かす。青く染め上げられた生地に刺繍された 「天下無双」の文字が日の光に反射して綺羅と幸村の目を灼いた。 俯きがちな武蔵は気付かない。
 ぐるりと辺りを見渡し、幸村が手元の図にまたひとつ書き込んだところで ようやく武蔵は顔をあげ、切り出された角材を手にとってずんずんと戻ってきた。 長いものから短いものまである角材の中では手頃な大きさの、丁度武蔵が下げる二刀程の寸。 表皮を削られ、白く滑らかな表面に鋭利な角が四つの長方形を二つ手に、 納得いかない顔つきのまま向かってくる。そうして「手合わせできるか」と言った。
墨が乾くのをまって紙を折りたたんでから、漸く幸村も返した。
「腹が減っているのか、武蔵」


 別に減ってはいないが、けどそうかもしんねえとの返答で、 共に昼餉を終えた二人は大坂城の庭園を縁側から眺めながら茶を飲んでいた。 絢爛な庭には戦の影が迫っていることなど微塵も感じられない。

「この城は名を上げて死にたい奴等はいるのに、名を上げて生きたい奴がいねえ」

無言を保ち続けていた武蔵が突拍子もなく言う。並んで座っている幸村は動じず 茶を飲み続けている。二人が飲んでいるのは幸村が淹れたものだ。 膝に肘をあてて手に顎を乗せている武蔵は、前のめりの姿勢になったまま 青葉の木を睨みつけている。
「あんたも辞世の句なんて考えてるのか」
どうやら城内を歩いた際に、其処此処でそんな場面に出くわしたらしい。
武蔵に怒りはない。あるのは疑問のみで、彼はどんな時でも真っ直ぐである。
「考えていない」
「考えるのか」
「考えない」
茶碗に手を添えて持ち上げていたのを下ろし、太腿の上に置く。
「私から槍をなくしたら、それは私に変わりも違いもないが、
 私が「私」であり続ける為の私ではなくなってしまう」
槍がなくとも生きていける。しかし活きてはいけないし生きてもいけない。
  「辞世の句は槍を持ち戦っている私そのものだ」

 真田幸村の戦いぶりというのは苛烈で、正に死を恐れない強さと 無謀さを見るものに抱かせた。武蔵が幸村の戦う様を見たのはそう多くないが、 無茶とも思える特攻力に目を見開いたものだ。武蔵でさえそう思うのだから、 幸村が話す友であった者たちは肝を冷やす事も多々あっただろう。
 生きるために戦うのではなく、死ぬために駆けるのではなく、 己が己で在るために槍を振るう。 逆に言えばいつ死んでいてもおかしくなかった男だ。

「九度山にいた際、手慰みに句を詠んでみたら周りに止められたのもある」
「どうして」
「向いていないらしい」
 下ろしていた両手を持ち上げ、茶を飲むのに専念し始めた幸村を見て 武蔵も茶を飲んだ。遠くからざわざわとした声が漏れ聞こえ、 誰かが入城でもしたかと頭の片隅で思った。鯉でも跳ねたのか池の水面が揺らぐ。
水の波紋が消えていくのを見届けた後、武蔵は呟いた。

「もったいない」

 大きな声ではなかったが、しんとした中では響く。 手の中で萌黄の色をした茶が武蔵を写した。 揺らしてみても先ほどのような水紋は見れない。
「あんたを寝返らせようとする奴等の時間が」
「私もそう思う」
返ってきた答えに特に何の感情も抱かず、武蔵は茶碗をぐい、と 口元に持っていき飲み干した。空になった茶碗を見下ろす。

「もったいない」

ああちくしょう、もったいない事をしたと言いながら前を見つめている武蔵に、 幸村はどうしたと問うた。人足たちに伝えてある時間までどのくらいあるだろうかと、 武蔵が睨んでいた木の影を見遣る。
「考え事しながら茶飲んじまった」
「諸将に言うといい。私より美味く淹れられる人ばかりだ」
「あんたのが一番落ち着く」
言って茶碗を差し出してくるので、幸村は湯を沸かしに立ち上がることとなった。
この後武蔵の手合わせに付き合えるだろうか。
幸村の問いかけに、影の長さはぎりぎりだと告げている。





武蔵と幸村のダチ距離感は無味乾燥がベースだといい。