合香マグノリア


 ぶらぶらと城下町を歩いていた慶次は、おや、と楽しげに声を揺らした。
 前方から向かってくるのは背筋を伸ばし、芯のとおった歩き方をする男である。 相手も慶次に気付いたようで、慶次殿、と和柔に笑んでみせた。

 「珍しいな。何ぞ気になるものでもあったかい」
 「少々、使事を頼まれまして。任を終えたところです」
 何しろこんなに芽吹いているものですから、室にこもるのは 深雪のまま顔を出さぬふきのようだと、と幸村は再度笑みを顔にのせる。 真面目な男のことだ、自ら名乗り出たに違いないと慶次は苦笑するのだが、 気持ちはわかる、と深く頷きもするのだった。
 越冬を超えた景色は色彩の洪水そのもので、目にも優しく、嬉しげに映る。 請われるままに気持ちが舞い上がるのは、誰しも悪いと思うものではない。 粋を好む慶次にとっても心躍る季節である。
 大坂の町人などは皆、秀吉の威光を受けて更に更にと楽しもうという 気概に溢れているからか、祭りの様相すら見せ始めている。 だがこの男に出会ったのは、町から外れかけた、静けさ漂いかける道でのことである。
 屋敷の庭から溢れ出たか、風に乗ってきたか、桜樹から音もなく降る春雪は さらさらと景色と男を飾っていた。

 「あんたとこんな場所で出会うたあ、春風に感謝しねぇとな。
城の庭も立派なもんだが、こうして堀の外に出るのはいいもんさ」
 「私は武を鍛えることにしか頭のない一辺倒者なので、歌も詠めませんが…
こころよい、ものですね」
 す、と深呼吸した幸村は、吸い込む途中で首を傾げ、そのまま慶次の着衣に 顔を近づけてくる。傾奇者の名に違わず、晴れ着に正月を被せたような 衣装に鼻先を近づけ、暫くそうしていたが思い当たる節があったのか幸村は 小さく首を上下に動かした。そうして、やっと自分の非礼さに思い当たったのか、 も、申し訳ありません!と慌てて慶次から離れるのであった。
 それを見て慶次は大らかに笑い声をあげ、羞恥で顔を俯かせている幸村に 好物でも忍ばせてたかねえ!と言ってみるのだが、相手は俯く角度を 深めただけに陥ってしまった。意趣返しとばかりに告げる声も、どこか弱々しい。

 「嗅ぎなれぬ香がしたものですから、思わず。…桜花ですか?」
 「おうよ!俺には可愛らしすぎる気もするがな。華は愛でてやるもんだ。
あんたも何か焚き染めてるだろう」

 近づいたときに香ったと言うと、ええ、はい。と返し、顔を上げ裾を軽く 持ち上げてみせた。その様には、慶次の纏うあどけなさの中にも どこか妖艶さ漂う香がどこでついたものかなどと、思いつきすら していないのがありありと伺える。
 白粉の匂いとも混ざってるんだが、と 慶次は思案してみるが、幸村が口を開いたのでそこで考えるのを止めることにした。
 花街を知るような男ではない(誘ってみるかとも思うが)という結論に辿り着いたからだ。

 「香を合わせたからと頂いたので、ご厚意にあまえて焚いてみたのですが…」
 「白檀かと思ったが、違うな。羅国とも違う。………木蓮、か?」
 「はい。白木蓮だそうです」
 慶次は手を顎に当てて、そりゃあまた粋だ、と呟く。
 どのような女人が好きか、との秀吉の問いに、幸村は白木蓮のような女(ひと)だと 答えたという話は、慶次の耳にも入ってきていた。
 「私にはまだ添い遂げる者がおらぬので、こうして香で見えぬ誰かと 共に寄り添っているのです。慶次殿」
 「そうかい。そりゃあ妬けるってもんだ。
ところで幸村、 お前さんに薫物を渡して、そう言えと含んだ御仁の場所を知らんかねえ」
 一瞬呆けたような顔をしたが、くすくすと忍び笑いが聞こえて、 やはり見破られてしまったと、幸村は悪戯が見つかってしまったときのような眼で笑っていた。

 「何ゆえかは私には図りかねますが、兼続殿ならば太閤様に呼ばれ、 登城している最中ではないでしょうか」

 実は私も、皆で花見をしようと赴いた次第だったのですが、 屋敷の者に伝えはしたもののこうしてすれ違って、途方にくれて彷徨っていたところなのです。
 慶次は、そうだなあ。陽気につられて迷うのも仕方がない。 神隠しにあってもおかしくなかろうよ。そう言い、手にしていた酒を掲げた。





マグノリア=モクレン属。香のことは捏造激しいです。幸村の性格も固まってませんハハ…
(兼)+幸でも兼幸でも、お好きなにゅあんすでどうぞ